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早わかり!日本通信

早わかり!日本通信

日本通信ってどんな会社?

1996年5月に当社は、通信業界という規制業種において、新しいモバイルサービスが創出される環境の整備に一翼を担うこと、そして、新しいビジネスモデルを具現するモデル企業として自ら実例をつくることをミッションとして設立されました。

創業以来、一貫してMVNO事業モデルを提唱し、実践することで、MVNOのモデル事業者として、先駆者としての役割を担ってまいりましたが、これは、当社の創業者である三田聖二が描いていたビジョンの実現の道程でもあります。

MVNO事業モデルを提唱した創業者ってどんな人物?

創業者であり、現在会長の三田聖二は、商社マンであった父親の家族を伴っての海外赴任 第1陣として、1957年、米国に渡りました。父親から「日本の戦後の復興は、米国の力を借りて外から実現していくが、お前が社会人になる頃には、日本の国内に十分に力が蓄えられ、日本の中で経済面を含め社会貢献できる時代になっているはずだ」ときいて育ちます。そして約30年後、まさに日本の中で、社会貢献するため、自らの家族とともに日本に移り住むことになります。

米国モトローラ本社の幹部であった三田聖二は、1989年世界初の手のひらにのる携帯電話を日本市場に投入し、携帯産業の発展の契機を作ることになるのです。また、第2世代の携帯電話の開発、第3世代の規格づくりにもいち早くかかわり、携帯電話の世界にシステム・インテグレータが必要になると考え、当時の郵政省に説いて回ったのもこの頃です。

この時の経験と、鉄道会社に始まり銀行及び証券会社に至るまでの経験、メーカーでの経験が重ね合わさることで、次世代経済は情報経済であり、その基盤は、個人から個人へと情報がトランスポート(輸送)されることにあること。そしてそれを支えるのが移動体通信であり、様々な企業、組織、人が自在に使えるようにすることこそが、日本が再びリーダーシップを発揮する道筋であると確信しました。

このビジョンを実現するために設立されたのが当社です。

このビジョンの具現化を政府と協力的にまとめ上げ、パブリックに示されたのが「IMT-2000ビジネスモデル研究会報告書」(2001年)です。この報告書には、MVNOの必要性やプラットフォーム事業者としてのMVNOへの期待、さらにSIMロック解除や金融決済への応用など、今日でもなお、活きた指針として機能していることが描かれています。

日本通信の歩み、それはすなわち日本のMVNOの歩みそのものです。

(図をタップして拡大できます)

日本通信の中期戦略

MVNO のモデル事業者からMSEnabler(モバイル・ソリューション・イネイブラー)へ

当社が創業以来20年間にわたり待ち望んできた内容が、一気に規制緩和として打ち出されたことを受け、2016年1月、当社の役割を再定義し、新たな事業戦略に取り組むことを決定しました。

今まではドコモからSIM を調達し、ドコモ網を使ってサービスを提供していましたが、この度の規制緩和により、当社が自前のSIM を作り、ドコモに限らずソフトバンクやKDDI のネットワーク、さらに海外の携帯事業者のネットワークをも、1枚の日本通信SIMで提供可能になります。

インターネットが劇的に普及する一方、企業は安全・安心なネットワークを確保できる専用線が不可欠です。インターネットの利便性と専用線の安全性を合わせ持つのが当社の特許技術「無線の専用線」ですが、この技術も、今後はマルチキャリアに対応する1枚の日本通信SIMで、グローバルに提供可能となります。

当社が構築する新たなネットワーク基盤は、マルチキャリアSIM、セキュリティ、IoT、通話定額サービス他、多様なサービスを生み出すことができます。

この大きく広がった可能性を踏まえ、新たに身につける多様なサービス提供能力を使って、MVNOやシステム・インテグレータ、メーカーや金融機関等に多様なサービスやソリューションを提供する、MSEnabler(モバイル・ソリューション・イネイブラー)に移行します。

当社に求められる、この新たな役割を担うことが、MVNO 業界の発展にもつながり、かつ当社の事業成長にも直結するものと考えています。

市場規模って?

今回の規制緩和の影響が如何なる規模であるのかは、MVNO規制緩和第1弾の時がそうであったように、今から数年経って振り返らなければ理解されることはないかも知れません。

インターネットがもたらした経済創出効果が地球のサイズとすれば、この分野がもたらすものは膨大であり、きっと宇宙サイズにちがいありません。

新たな事業戦略を遂行することで、再度、自ら立証してまいります。