日本通信株式会社 新卒採用

渋谷 靖(2001年入社、中途)

CCTグローバル上級データベース管理者
(Global Database Task Owner)

Japanese

CCT:米国子会社

経験した主なファンクション

  1. System & Database

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インタビュー

国境を越えてお互いを高めあえる”強い”開発チームをつくりたい。

「米国に技術センターをつくる。開発の拠点は米国だ。」
約2年前、渋谷は、米国へのシステム開発拠点の集約に伴い米国に発った。

日本通信は、米国コロラド州デンバーに子会社がある。日本がNTTドコモの3G/LTE網と相互接続をしているように、米国はSprintとUS Cellularと Verizon Wireless の3G網と接続し、日本と同様のビジネスモデルで事業を展開している。従来は、日米それぞれの拠点でビジネスに必要な機能を有し、日米間の連携も限定的であった。しかし、基盤システム機能重複の解消といった効率化の側面、ノウハウの有効活用といった機能強化の側面から、グローバルで経営資源の一元化を目指すことになる。システムやネットワークの開発・運用は、日米統合し一つのファンクションとしてまとめられた。現在、システム、ネットワークは、それぞれ米国子会社在籍の米国人がファンクショナルオーナーを務めている。

渋谷は、日本におけるシステム開発・運用のコアメンバーであったため、米国への開発・運用体制の集約に際し、まっ先に米国行きを命じられたのであった。

渋谷が日本通信に入社したのは、DDIポケット(現ウィルコム)との契約が締結され、PHSサービスを始めようとしていた2001年。日本通信が世界初のデータ通信MVNOとしてビジネスを開始しようとしていたタイミングであった。当時コンピュータ・ソフトウェア開発企業に勤めていた渋谷を日本通信の幹部が目を付けた。前例がないサービスをつくり上げるには、渋谷のような根気のあるエンジニアが必要だったのだ。

もっとも渋谷にもシステム開発経験があったわけではない。新卒で入社した会社はシステム開発とはほど遠い経理部門において出納・月次決算業務を担当していた。その後、学生時代に趣味でやっていたゲーム制作にのめりこみ、好きなことを仕事とするため、コンピュータ系の会社に転職する。その後、日本通信に参画。

日本通信はゼロベースを大切にする。過去の経験が邪魔をして、本来あるべき姿を見失ってしまうことを恐れ、能力があるものは積極的に未経験の分野にチャレンジさせる文化がある。このときも、他社のシステム開発に携わっていたエンジニアを引き抜くのではなく、異分野で活躍していた人物に託したのだった。

渋谷の入社当時、日本通信は、元々社内で開発していたネットワーク制御システムの運用を外注していた。それを再度社内で運用しようとしていたタイミングであった。その頃から、ビジネスの根幹となる重要な部分は、外注せず、社内で取り組むことで社内にノウハウが溜まるようにする、というのが日本通信のやり方だった。渋谷は外注先の会社に一人で約半年程度常駐し、基盤システム及びオンラインショッピングシステム、認証・課金システムの引き継ぎを行ったという。

「日本通信の面白みは、ビジネスのコアの部分を全部自分たちでやっているところです。大企業のようにベンダーに任せてそれを管理するという仕事はなく、基本は自分たちが考えたものを自分たちでつくる。だからスキルもつくし、大きなやりがいも感じられるのだと思います。」日本在籍時の渋谷の上司は、『チャレンジ精神を発揮し、新しい技術を積極的に導入したり、既存の技術を別の方法で応用したりする等の工夫を行い、数々の課題を克服してきた。目の前の問題が大きければ大きいほど、技術的な難易度が高ければ高いほど、燃える男。』と渋谷を評する。

趣味が転じて仕事になったことからもわかるように、渋谷は興味のあるものをとことん掘り下げる。

「きっと好きなのでしょうね。時間を忘れていつまででもやっていられるのです。」
好きだからできる。実際、こんな時間にオフィスにいないだろうという深夜帯でも、まだ仕事をしているといわれるほど仕事熱心だ。

夢中で取り組んだ結果、渋谷は現在の日本通信の基盤システムの生みの親とも育ての親とも言われる存在となった。渋谷がPHSの頃から築いたシステムが原型となり、今でも心臓部としての役割を果たしている。

「好奇心があって、自分の力を高めたいという勉強熱心な人には、日本通信はうって付けの会社です。自分たちで考えたものを自分たちでつくることができるという環境、そして、常に最新の技術に触れられるという環境があります。また、認められれば、自分の裁量で色々なことが進められるようになり、チャンスが広がります。」

海外に在住したことがなかった渋谷にとって、米国赴任の人事命令は、容易い決断ではなかったはずだ。実際、渋谷には、妻と当時12歳、10歳、3歳の3人の子供たちがいた。渋谷自身も、英語が話せたわけではなかった。

「渡米当初は苦労もありましたが、半年も経てばある程度の英会話には困らなくなりました。実際、米国行きは、苦労を補っても余りあるものだったと思います。米国の開発スタイルやシステム設計の思想を米国のエンジニアから学びました。これは日本では手に入れられないものです。結果、さらに一段高い視点でものを考えられるようになったと思います。出国前は反発していた子供たちも、半年も経てば、普通に現地の友達ができ、溶け込めたようです。」

渋谷の次なる目標は、”強い”開発集団をつくることだという。

「常に自ら最先端の技術を学び、会社・仲間にフィードバックする。それがエンジニアの役目です。周りから刺激を得られる環境に身を置いて、お互いを高めあえる強い集団でありたいと考えています。そうすれば、自ずといいものができるのではないでしょうか。」

渋谷は、開発拠点の集約化に伴い、米国に赴任することになった初期メンバー。日本に残る仲間たちにも「日本だけを見るな。」と喝を入れる。

現在、米国の渋谷の下には3カ国のメンバーがいる。人に教えることが好きな渋谷は若手の育成にも積極的に時間を使う。米国では直接、日本にはオンラインで若手の育成を行っている。自分が育てた若手が育っている姿をみるのは、とても嬉しいのだという。

場所も、国籍も関係ない。どちらに在籍していても、双方のシステムを開発・運用できる体制。国境を越えた”強い”開発チームをつくるという渋谷の挑戦はまだ始まったばかりだ。


注:記載内容はすべて執筆当時のものです。